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「価値」とは何か?「価値」の本質について考えてみよう

ものごとの価値について考えていきます。

ここでは、経済学の小難しいお話ではなく、もっと身近に、そして簡便な説明を試みます。

主観的価値とは、「あなたにとってだけの価値」

客観的価値とは、「誰にでも共通する価値」

だと思っていただければ結構です。

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主観的価値

なにか物事の価値を考える時に、「その人にとってどれだけの価値があるか」を主観的価値としましょう。

この主観的価値という言葉は私が勝手に呼んでいるだけなので、一般的な用語ではないでしょうが、小難しい経済学の本よりもわかりやすいはずです。

具体例を上げましょう。

あなたの大切な人が亡くなり、その人が日記を遺品として遺しました。

遺品にはあなたにとっての主観的価値があります。

仮に誰かに譲ってほしいと言われても、あなたは大切に持ち続けたいと思うはずです。

このように「誰にでも価値があるわけではなく、あなたにとってしか価値がないもの」には主観的価値があります。

注意したいのは、「自分にしか価値がないものである」ということです。

主観的価値は、言い換えれば自己満足です。

自己満足という言葉は、おおよそネガティブな文脈で使われることが多いですが、私はネガティブな意味で使っていません。

最終的に人間は死ぬまでにこの主観的価値をどれだけ得られるかによって幸福度が変わります。

つまり、主観的価値を言い換えるのであれば、「自己満足」や「幸福感」と言えるでしょう。

この主観的な価値に似た概念のことを、経済学では「効用」といいます。「満足度」のことです。合理的な判断能力のある各個人は自身の効用を最大化するように行動します

客観的価値

客観的価値とは、「誰にでも共通する価値」です。

この言葉も私が勝手にこう呼んでいるだけなので、一般的ではないかもしれません。

いわば経済的価値です。

なにか物を所有しているときに実際に市場で売買されている市場価格が客観的価値に該当します。

先ほどの遺品の日記の例で言えば、

使い古された日記は古本屋でも買い取ってもらえないでしょうが、仮に買い取ってもらえたとしたら10円程度です。

すると、その遺品の客観的価値は10円です。

客観的価値を言い換えるのであれば、「時価」「市場価格」、「経済的価値」などでしょう。

客観的価値は簡単にお金で表すことができます。

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主観的価値の客観的価値評価

主観的価値とは、自己満足だと言いました。

ここでは、主観的価値を客観的価値に置き換えるのにはどうしたらよいかを考えてみます。

上の遺品の日記の例であれば、「いくらであればその日記を売ってもいいか」を考えます。

大切な人の遺品なので、1,000円程度では売りたくないでしょう。

では100万円は?

1億円は?

このように考えていった時に、売ってもいいと思える金額が見つかるはずです。

仮に100万円でなら売ってもいいと思えたとしましょう。

すると、この日記の「主観的価値+客観的価値=100万円」です。

この日記の時価は10円でしたから、

「主観的価値+10円=100万円」

つまり、

「主観的価値=100万円ー10円=99万9990円」

になります。

「主観的価値+客観的価値=自分が取引してもよいと思える金額」ということです。

お宝鑑定団などを見ていると高額な評価額が出ても「売りません」という人がいますよね?

その人にとっての主観的価値が大きいので、客観的価値(評価額)では売りたくないということです。

実際に100万円による売買が成立したのであれば、一旦この金額が客観的価値になり得ます。「自分が取引してもよいと思える金額」はその金額の判断に主観的な判断(主観的価値)が介入するため、実際に取引される金額(客観的価値)とは必ずしも一致しない点にも注意しましょう。

重要なのは、このように主観的価値を客観的価値に置き換えてみるということです。

すると、ほとんどの人の場合、実際はどうでもよいことに意味のないこだわりを持っていることに気がつくはずです。

価値は変動するもの

主観的価値や客観的価値は不変なのではなく、常々変動していることにも注意してください。

また、それぞれの価値の変動を利用してお金を稼ぐことができる点もポイントです。

株を価値で考えてみる

実際に株式を例に取って考えてみましょう。

株式にとっての客観的価値は、実際に売買されている時価です。

しかしなぜその価格で売買する人がいるのでしょうか?

買った人は、その株式がその後より値上がりすると思っています(主観的判断)

売った人は、その株式がその後より値下がりすると思っています(主観的判断)

※実際には売買の動機は他にもありますがここでは単純化しています

このように、主観的価値は人によって評価が異なります

重要なのことは、この主観的価値のズレをうまく利用して稼ぐことです。

たとえば、1株1,000円で市場取引されている株があったとします。

さっきの式で考えてみましょう。

「主観的価値+客観的価値=自分が取引してもよいと思える金額」

客観的価値は時価なので、1,000円です。

「主観的価値+1,000円=自分が取引してもよいと思える金額」

実際にこの株を購入しようとする投資家は1000円以上の価値があると判断していることになります。

すると

「主観的価値+1,000円≧1,000円」

つまり、

「主観的価値≧0円」であれば購入

します。

これは将来の値上がりなどの利益を期待しているということです。

投資における投資判断をしっかりと勉強すればこの主観的価値判断を誤りづらくなります。

主観的価値のズレの多くは情報の非対称性に依存します。株の例でいえば、豊富な経験や、より高度な分析力、インサイダー情報を握っている人はそうでない人より有利な主観的判断をくだせます

情報商材の価値とは

ネット上でよくみる情報商材ですが、中には中身のほとんどはググれば出てくる内容のものもあります。

とある情報商材Aはその中身が全て検索すれば出てくるものだとしましょう。

検索に掛かるコストは0円ですよね?

なので販売価格よりも実際の価値は低くなります。

販売価格20,000円の情報商材Aを売る側になって考えてみましょう。

上で挙げた式を思い出してください。

「主観的価値+客観的価値=自分が取引してもよいと思える金額」

情報商材Aの客観的価値はほぼ0円です。(ググれば無料ででてくるので)
※実際には情報をまとめあげたことに幾分かの価値があるかもしれません

また、「自分が取引してもよいと思える金額」は販売価格20,000円(売りたい価格)になります。

すると

「主観的価値+客観的価値0円=販売価格20,000円」

なので、いかに購入者に主観的価値を演出するかが売りさばくポイントになっています。

「主観的価値=販売価格20,000円」

20,000円の価値があると購入者にアピールしなければなりません。

そのため、人間の心理や欲求を刺激するような演出をしています。
裏を返せばそのような演出をしている商材は客観的価値が著しく低い可能性があります)

情報商材Aにかぎらず、何かを売るためには購入者の購買意欲という主観的価値を刺激することが大切です。

それは営業戦略であったり、マーケティング手法であったり様々です。

そこに価値はあるか?

多くの人が価値を感じているからといって、そこに本当に価値があるかどうかは最終的には自分で決めることです。

たとえば、学歴、資格、職種、ブランドなどの目に見えないモノの価値に関しては要注意です。

学歴に価値はあるか

日本は学歴至上主義です。

学歴自体に本当に価値があるでしょうか?
(私自身も世間的には高学歴な大学を出ていますが、さほど学歴自体に価値は感じていません)

もちろん学歴や肩書は初対面の相手を一時的に評価するのに役立ちます。

学歴の客観的価値を考えるのは簡単です。

その学歴がある場合とない場合においての生涯所得の差分から学歴取得コストを差し引いたものと捉えることができます。

学歴の客観的価値=学歴による所得増分-学歴取得コスト

例えば、A大学を出ている人の生涯所得が3億円で、出ていない人の生涯所得が2億円であれば、所得増分は1億円です。

4年間の大学の学費が500万であれば、

学歴の客観的価値=1億円-500万円=9500万円

が学歴の客観的価値になります。

しかし、一つ見落としているのが、「4年間という時間」の価値です。
※この時間の価値にも主観的価値と客観的価値がありますがややこしくると思うのでここでは単純化します

つまり、上の例であれば、

9500万円ー4年という時間≧0

であれば、その人にとっての学歴の客観的価値があるということです。

学歴の主観的価値は自己満足なので、どうでもよいでしょう。私にとってはほぼ0円です。

資格に価値はあるか

資格についても同様に考えることができます。

資格の客観的価値=資格による所得増分-資格取得コスト

しかし、資格の所得増分に関しては基本的に労働者としての労働が前提なので、資本主義においては非常に効率が悪いです。
(私自身、大学在学中に公認会計士試験に受かっていたりするのですが、単に効率的な学習がしたかっただけでした。そこに価値は感じていません)

資格の主観的価値も単なる自己満足です。

何かを学ぶときに資格や試験を受けることは有意義です。情報が体系的に整理されており、問題演習なども豊富であるため効率的に学習することができます。

しかし、注意しなければいけないのは取った資格に囚われないことです。

「せっかく取得したんだからその仕事をしなければもったいない」などと考えてはいけません。それは資本家の思うツボです。

実際にこういう人は多いのです。

せっかく優秀なのに「もったいない」という主観的価値という幻にとらわれ一歩を踏み出せない人です。
(ただ所詮はその程度の人なのかもしれませんが)

塩漬けにする投資家と似た心理ですね。

資本家の立場からすれば、いかに主観的価値を演出するかがポイントです。

その資格のイメージを向上させ、資格保持者に優越感を与えることによって労働してもらいます。

単に合格率を絞るだけで、勝手に優越感に浸ってくれる労働者がいるので簡単です。

主観的価値判断を極めよ

詐欺の被害にあう人や投資で失敗する人は、主観的価値判断を誤ってしまう人です。

主観的価値判断の精度を高めるには、訓練が必要です。

様々なモノやサービスの価格や相場を調べたり、物事を勉強したり、論理的思考を鍛えたり。

騙されないためにも、損をしないためにも、是非当サイトをご活用ください。

主観的「勝ち組」と客観的「勝ち組」

ここからは番外編です。
「勝ち組」とか「負け組」という言葉があまり好きではありませんが、これについて考えてみましょう。

客観的勝ち組の人たち

これは端的に、お金持ちのことです。

お金は万人に等しく価値があるので、お金持ちは誰から見ても勝ち組と言えます。

経済学超基礎
貨幣(お金)の役割

価値尺度:モノの値段を示すという役割

交換手段:交換(支払い)手段としての役割

価値貯蔵手段:貯蔵手段としての役割

主観的勝ち組の人たち

これは自分の現在や、人生に満足している人のことです。

お金がなくても、やりたいことをやっている人は主観的勝ち組といえます。

また、基本的に客観的勝ち組は主観的勝ち組にも該当するケースが多いです。

目指すべくは真の勝ち組

真の勝ち組は主観的にも客観的にも勝ち組といえる人です。

お金は稼げているけれど、やりたくもない仕事をしている。

収入は安定しているけど、まったく自分の時間がなく家族との時間もない。

このような人たちは主観的負け組である可能性が高いです。

逆に

やりたいことをしているけど、生活がギリギリである。

などは、客観的負け組である可能性が高いと言えます。

まずは自覚することから始まります。

自覚をしたらどうしたら真の勝ち組になれるのかを考え、行動に移してみましょう。

幸せってなんだろう

ここまでいろいろと説明してきましたが、自分で記事を書きながらこのような哲学的問いが生まれました。

個人的には、社会的地位だとか名誉などに主観的価値を感じません。

だからといってお金だけあればそれでいいとも思いません。

この問いに対しては、画一的な答えはないでしょう。

各々がそれぞれに解をだせば良いことだと思います。

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