ここでは「資本家のわな」について説明します。
この言葉は私が勝手につけただけであり、一般的な用語ではありません。
しかし、ここで述べることは非常に大切なことなので、是非熟読してください。
あくまでも「こういった見方もできるよね」というお話なので予めご了承ください
もくじ(見出しのまとめ)
資本家のわなとは
経済学の知識をお持ちであれば「流動性のわな」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
ここで説明する「資本家のわな」とは何ら関係はありません。
ここでは、
「これって資本家の仕込んだ罠なんじゃないの?」
ということを具体例を挙げながら説明していきます。
その前に、資本主義の基本的なことについて確認しておきましょう。
資本主義とはどういった仕組みか
資本主義の説明の仕方は実に様々です。
一般的な特徴としては以下のようなものがあります。
1.私有財産が認められている
資本主義社会では基本的に誰でも財産を持つことができます。
一方で中国などの社会主義国家では必ずしも私有財産制が認められているわけではありません。
中国人が日本の土地を買っているというニュースを見たことがある人もいるのではないでしょうか?
あれは、中国人には中国の土地の所有権がないためです。日本で言うのであればすべて国有地になっていると考えてみてください。
2・民間企業による経済活動
馴染み深いものだと思うので、あまり説明はいらないでしょう。
3.自由競争による市場取引
これも馴染み深いものだと思います。
資本主義においては自由な経済活動が認められています。一方で、共産主義を目指す社会主義国家では計画経済を推し進めます。
計画経済とは、国が生産物の生産量などを決定するものだと思っていただければ結構です。
簡単にいえば、最終的に共産主義を目指す途中のプロセスが社会主義だと考えていただければ結構です。
とりあえずは「民間・市場に任せるのが資本主義」「国が管理するのが共産主義」という理解でOK
資本主義は搾取の仕組みか
19世紀にカール・マルクスというおじさんがいました。
私は敬意をこめてこの方をカールおじさんと呼んでいます。
カールおじさんは、資本主義は労働者を搾取する仕組みであると批判しました。
生産手段を持つ資本家階級が労働以外に売るものがない労働者階級から搾取する仕組みです。
カールおじさんは、「労働者が産んだ付加価値(利益)のほとんどは資本家が持って行ってしまいますよー」というお話を資本論という本の中で長々と説明しました。
実際当時の資本主義はそうでした。
カールおじさんは、資本主義と共産主義をぶつけ合わせて切磋琢磨(アウフヘーベン)させたかったんですね。
しかし残念ながら資本論に書かれていた理想を実現することは未だ人類にはできていません。
結局一部のえら~い人達が富と権力を独占してしまいます。
高校物理の問題でいう「ただし摩擦はないものとする」ようなものです。
理想と現実は異なります。
修正資本主義では搾取はないか?
では現代ではどうでしょうか?
現代では様々な修正が加えられ昔のように表立った搾取の構図は是正されました。
これを修正資本主義といいます。
実際、労働するだけで最低限の生活はできますよね?(今のところは…)
しかし、労働の搾取は資本主義の本質的な部分であるので完全になくなることはありません。
また、現代ではその搾取の構図が労働者に気づかれないように巧妙になっています。
それがまさに「資本家のわな」なのです。
資本家のわなにハマっている人は一生お金持ちになれないばかりか、後世にまで迷惑を掛けることになるかも…!?
資本家のわな
ここでは、資本家の立場からあえて極端にモノを考えていきます。
あなたがもし大資本家だとしたら、まず何をするでしょうか?
自分の利益を最大化するために、できるだけ安価で労働力を確保し続けたいと考えるはずです。
また、同じ労働力であればより多くの付加価値(利益)を産み出させようとするはずです。
そのためにはまず、労働者達に
「労働は素晴らしいことだ」
と植え付けるでしょう。
一度植え付けて洗脳すれば、あとは勝手に彼らが自分の周りの人間や子供にも教え、その価値観が世代を超えて広がっていきます。
また、できるだけ経済の勉強はさせないようにするでしょう。
義務教育期間になんて絶対に教えません。
なぜなら搾取の仕組みに気づかれたくないからです。
さらに、投資はリスクだらけで危険だと徹底的に教育します。
投資から遠ざけることで、効率的にお金を稼ぐことから遠ざけたいからです。
労働を美化し、そこに「自己実現」や「やりがい」、「成長」といった幻(主観的価値)を与え、経済的素養からはできるだけ遠ざけるのではないですか?
これって今の日本なのでは・・・?
はい、それではもう少し具体的に見ていきましょう。
資本家のわな~労働を美化する~
「働くことは素晴らしい!」と言わなければならない風潮ありませんか?
ほとんどの人は「労働することは愚かなことだ」とは考えていないのではないでしょうか?
それもそのはず、ほとんどの人は小さい頃から労働者になるための英才教育をされています。
しかし、一部の人は帝王学とも言えるような世を統べる者になるための英才教育が施されています。
私が大学生のとき、某大資本家のご子息と懇意にさせてもらっていました。
そのご子息はそれはもう人当たりの良い青年で、普段は口を滑らせることなど全くありませんでしたが、
ある時、泥酔しいろいろなことを聞くことができました。
そこで聞いた話の一つは、彼の幼少期の「お金」についての英才教育です。
具体的な内容は秘密ですが、一般的な労働者の家庭では話題にすらあがらない内容です。
資本家は、自分の子供に資本家としての英才教育をしています。
しかし、純粋にこれを労働の義務と捉えると経済活動の自由を保障することと矛盾します。
したがってこれは「自分の生計は自分でどうにかする努力をしてね」と解釈すべきであり、何らかの手段によって生計を立てていれば勤労の義務を果たしていると考えられます。また、対価を得ないようなボランティアであってもこれに該当すると考えても良いでしょう。
実際には、単に社会主義国の労働規定を真似ていれただけでしょうから、資本主義国家においては重要な意義はないものと言えます。
詳しくは憲法解釈を勉強してみてください。
資本家のわな~努力して出世を目指せ~
最近の若者は出世を目指さない人も増えているようですが、ことお金を稼ぐことに関して出世を目指すのは効率が悪すぎます。
出世するためには、努力が必要であり、会社組織内においてより多くの付加価値(利益)を産み出す必要があります。
そして、給料以上に産み出されたその付加価値(利益)は資本家に渡ります。
資本家の立場からすれば、労働者が出世を目指してくれた方が嬉しいのです。
資本家のわな~夢を叶えよう!自己実現だ!~
企業内においても、夢や自己実現を会社員に対して意識させているところも多いでしょう。
特に給料の安い企業に多いです。
薄給だと労働者から不満が出たり、そもそも労働力が確保できないので、給料以外の部分に労働者に「働きたい」「もっと頑張りたい」とおもわせる価値を生み出しているのです。
夢や自己実現という幻を見させ、その夢に近づいているから少しくらい給料が安くてもへっちゃらだ!と思わせるのです。
幻は所詮幻です。
資本家のわな~人材は宝です!~
資本家からみれば労働者は代替できる単なる労働力にすぎません。
人件費というコストです。
コストを一定に抑えたうえで、いかに労働者にやる気を出させより多くの利益を産み出させるかがポイントです。
もし本当に人材が宝なのであれば、それ相応の給料を支払います。
宝物は大切に扱うはずですよね?
資本家のわな~会社員は使用人~
会社員という呼び名はよく考えたなーと関心します。
会社法上で「社員」とは株主のことです。
会社員ではありません。株主です。
会社法上、会社員は「使用人」といいます。
しかし、会社員という呼び名で呼ぶことによっていかにも一体感を演出し、仲間意識や協調性をもたせることによってより多くの利益を産み出させます。
その利益は資本家たる株主に配分されます。
資本家のわな~企業理念という名の宗教~
多くの企業には企業理念があると思います。
企業理念といえば、聞こえがいいですが、労働契約の範囲外で労働者を拘束するための都合のいい口弁です。
これによって、労働者にやる気を出させ、また、非生産的な活動を抑制させます。
主に企業理念には、聞こえのいい正論や精神論、目標を持ってきます。
いかに労働者がその会社で労働することによって、社会の役に立っているのか、貢献しているのかを書き連ねます。
すると勝手に労働者が日々の労働を美化してくれ、より多くの利益を産み出すよう行動してくれます。
もちろん生み出した利益は資本家に渡ります。
資本家のわな~投資は危険だから手を出すな~
投資にはリスクがあります。
だから辞めたほうが良いですよ?
投資によってお金を稼ぐのは悪いことです。
汗水たらして働きなさい。
このような価値観を植え付けることに成功したら資本家は一安心です。
また、実際に投資にはリスクがあるので、真面目に取り組まないのであれば損をする可能性もあります。
これにより、「やっぱり労働で安全に稼ごう」と労働者が思ってくれたら資本家の思うツボです。
その人はもう二度と投資の世界には戻ってくることはなく、一生をかけて資本家のために労働者として労働をしてくれます。
また、投資で大損をした人がいた場合には必要以上に喧伝します。
投資は怖いものだと植え付けるためです。
こうすれば、それを見た人も怖がって一生労働者として資本家に利益をもたらしてくれるのですから。
資本家のわな~労働は安定してるから一生安泰~
一度正社員として雇用されれば、もう心配することはありません。
一生安泰です。
こんな風に労働者が考えてくれたら資本家は大変喜びます。
しかし、実際は労働にもリスクがあります。
人生の貴重な時間の多くを注がなければならないことが何よりもリスクです。
さらに言えば、株式会社であっても、倒産や解散をすることができます。
その場合に、会社にある資産は債務を支払った後、資本家で分け合います。
労働者には分けるものはありません。
これも会社法で定められていることです。
資本家のわな~みんなと同じことをしてれば安心~
「だってみんなそう言ってる」
「周りの人もそうしている」
これらは本来、あなたが何かを判断するのに関係ありません。
しかし、そう考えてくれる労働者がいれば資本家は喜びます。
なぜなら、「みんな」や「周りの人」は殆どの場合が労働者側の人間だからです。
どの時代においても大衆の選択は間違っていることのほうが多いのです。
資本家は人数で言えば少数派です。
しかし、その資本家こそが資本主義社会を統べる者なのです。
資本家のわな~仕事だから仕方ないよ~
よく予定などを合わせていると本当は行きたいのに「その日は仕事だから無理」という人がいます。
また、家族に対しても労働を口弁として使い、家族との時間を犠牲にする人がいます。
こういう労働者のカガミのような人は資本家は大好きです。
何よりも大切なはずの家族との時間までをも労働に売り払うのですから当然です。
また、それを許容する家族も資本家は大好きです。
まさに労働一家なわけですから。
本来は「仕事だから無理」なのではなく、「労働者として時間を売り払うことでしか稼ぐことができない人間だから無理」なのです。
そして今日もまた、家族との有限の時間を犠牲にして、資本家のために労働してくれるのですから資本家は大喜びです。
一方で資本家は、毎日楽しく好きなように時間を使います。
資本家のわな~年金や国民健康保険を整備しよう~
資本家の立場からすれば、労働者は余計なことを考えずに淡々と労働をしてくれればそれでいいのです。
そのためには、将来の不安を上辺でも取り除く必要があります。
そこで資本家たちは年金制度や国民皆保険制度によって将来の不安を取り除きました。
しかし、きっちりとお金はとっています。
それなのに多くの労働者たちは安心して労働に励みます。大成功です。
また、こういった安心感を植え付けることによって、リスクを取ることを避けるような価値観を植え付けることにも成功しました。
中には腹を立てている人もいるかもしれません。
人によっては今までの連れ添ってきた価値観と相反するため、受け入れられないかもしれません。
しかし、それもまた資本家の思うツボなのです。
たとえ受け入れがたかったとしても、ここに書いてきたことは、資本主義、または労働の1つの顔であることは忘れてはいけません。
資本家の立場からすれば、日本人の一般的な価値観は非常に都合のいい価値観です。
こんなに資本家にとって都合のいい民族はいないかもしれません。
ここでは若干大げさに書いていますが、現代の資本主義では労働者もそれなりに恩恵を受けています。
本来、労働者と資本家は対立するのではなく、感謝しあうべき存在です。
労働者からすれば、リスクを負わずに安定して最低限の収入を得られる場を資本家に提供してもらっています。
資本家からすれば、最低限のコストで付加価値を産んでくれるのは労働者です。
どちらにとっても必要な存在です。
ただし、産業革命の時のように、今後人工知能が人間の労働を代替するようになった時、資本家は効率のよい機械を選ぶでしょう。
そうなる前に、資本家側になっていることが大切です。
資本主義で勝ち抜くためには
まず、どうしても資本主義が嫌なのであれば、資本主義国家ではない国に住みましょう。
あるいは、政治家として立候補し、日本を社会主義国家にするしかありません。
(しかし、資本主義国家が世界にある限りは国際競争で負けてしまうでしょう)
どちらもあまり現実的ではありません。
国家の社会制度を変えるには、数十年単位必要です。
現実的ではないプランに労力を注ぐくらいなら、現実的なプランを考えましょう。
欲望のない機械に管理させれば、あるいは成功するかもしれまん。
現代に身分制度はない
現代の日本に生まれた以上、資本家を批判していても始まりません。
重要なのは、今自分に何ができるかです。
資本家の家系に生まれなかったのであれば、まずは労働者として資本家になるための元手を稼ぎましょう。
幸いなことに、現代の日本は誰でも資本家になることができます。
士農工商のような身分制度ではないのです。
後にも先にもこのようなチャンスのある時代は今だけかもしれないのです。
資本家になろうとしないのは自己責任です。
自分と家族、そして子孫が苦労する可能性が高くなるだけです。
あくまでも、最終的に資本家になるために労働をするという意識が大切です。
資本は労働とことなり再投資できます。
これは、労働が単利的にしか資産を増やせないのに対し、投資は複利的に資産を増やせるということを意味します。
また、労働は基本的に収入源が一つですが、投資では複数に分散し、さらに機動的な変更も可能です。
リスクを分散することは基本中の基本です。
労働のように単一の収入源に頼っていることそのものがリスクです。
また、労働による時間拘束もなくなります。
一週間でいったい何時間労働に費やしているのか計算してみるとよいでしょう。
労働とは自分の時間を売る行為です。
資本家になればその時間をもっと大切なことに使えるのです。
労働以外に大切なことが思い浮かばないのであれば、それもまた資本家の思うツボです。
また、時間はお金で買えるので、金持ちになればなるほど充実した時間(人生)を送ることができます。
まとめ
いかがだったでしょうか?
冒頭でも書いたように、「こういった見方もできるよね」という話です。
受け入れたくない人、目を逸らしたい人は見なかったことにしましょう。
現代型の資本主義では労働者も恩恵を受けています。
会社組織に入り、指示された仕事をしているだけでご飯を食べることができるのですから。
一定の範囲内での生活や自己実現もできるでしょう?
おそらく大資本家と交流を持つことなく人生を終えることができれば幸福に生きられると思います。
たいていの人が、大資本家を目の当たりにしてしまった時、はじめて気づくことがあります。
しかしその時にはもう多くの時間を失っており、間に合わないでしょう。
「このままじゃまずい」「お金持ちになりたい」という人は当サイトを参考にしてみてください。
現状を打開するための何かしらのヒントが得られるかもしれません。
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